NVC〜協働と共感のコミュニケーション〜②事実だけを観察する

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道徳や恐れではなく、喜びからくる行動を引き出したい


「人は心から与えることに喜びを感じる」というのが、NVCの前提とする考え方です。
自分が与えて、受け取ってくれる人がいる。
見返りがなにもなくても、誰かの役に立つこと、喜んでもらえることが、嬉しい。
そうゆう感情は、確かに人にあるようです。
あらゆる状況、あらゆる関係において、心から与え、人生を豊かにすることができるはず。

ただ、そうした心から与える喜びを人は忘れがちだ、とNVCの創始者であるマーシャルは指摘しました。
人生を豊かにする喜びを忘れ、「何が正しくて、何が間違っているか」という考えに取り憑かれていると。

正しいことをすれば、報酬やご褒美がもらえ、間違ったことをすれば、罰を受け、苦しむことになる。
こうした考え方は幼児教育から国際関係に至るまで、あらゆるシーンで目にします。
そしてそこに存在する対立や争い、痛みもしばしば目にすることでしょう。

罪や恥の意識、強制や義務といった価値観は教育によって培われています。
多くの子供向けアニメではヒーローが悪者を倒したり、場合によっては殺してしまうことも。
「良い・悪い」「正しい・間違い」という基準は時代によって簡単に変化するものであるにもかかわらず、まるでそれが絶対的であるかのように道徳として扱われていることに気がつく瞬間があります。

道徳的に「良い・悪い」「正しい・間違い」などを判断して誰かを教育し、自分の思い通りにしようとすることが本当に豊かなことなのか、一度考えてみる必要がありそうです。
「謝りなさい!」といって子供に謝らせたところで、子供も、親も、本当の意味でその謝罪に納得できるでしょうか?
その謝罪によって、何が正しいとされていて、何が間違いとされているか、その条件を知ることはできるかもしれない。
でも、どこかでないがしろにされているニーズがあるのではないでしょうか?
罰を受ける恐怖や、恥や罪の意識から行動するのを見て、喜ぶ人はいないでしょう。


評価や判断ではなく、実際にどんな体験があったのかを見る


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NVCでは4つのプロセスを扱います。
そのうちの1つが「観察する」です。

NVCの意味する「観察」とは、「良い・悪い」「正しい・間違い」などの評価や判断と事実を区別して、状況をありのままに認識することを指します。

人は自分の望まない状況に直面すると、すぐさま「間違っている」という考えを起点にして表現してしまうことがたびたびあります。

・自分の望むよりも長く話す人は「おしゃべり」
・反対に、短く話す人は「無口」
・頼みを引き受けてくれない人は「いじわる」
・収入があるレベルを超えていなければ「負け組」

など、例をあげれば枚挙に暇がありません。

こうした表現は、ものごとを正確に言い表しているとはNVCでは考えません。
評価や判断は、その体験が満足だったかそうでなかったかを表しているにすぎないのです。

例えば本を読んで「面白い本だった」とか「つまらない本だった」と評価するとき、本当にここで言及されているのは、本についてではなく、本を読んだ体験そのものについてです。
同様に、あなたが誰かを「おしゃべりな奴」と表現しても、実際に「おしゃべりな奴」が存在するわけではありません。
その人の話が、あなたが十分だと思う量を超えていた、ただそれだけです。

これについて、アムステルダムで行われたTEDxでNVCトレーナーのヨラム氏が以下のようなストーリーを語っています。

例えば私はしばしば彼女に評価を下してしまいます。
「自己中!」って言ったりします。
その日は会社でトラブルがあったので、彼女に話を聞いて欲しかったのですが、
彼女は「ダメ 今パソコンしてるから時間ないのよ」なんて言うので、「自己中!」って。
でも、こんな風に彼女を自己中呼ばわりしたところで、話を聞いてくれるはずもありません。
引用:Vulnerable honesty | Yoram Mosenzon | TEDxAmsterdamED


本当は話を聞いて欲しいのに、「自己中」と彼女を表現することで、さらに話を聞いてもらえなくなっています。
評価や判断は本当に欲しいものや望む状況を手に入れる可能性を低下させることがあるのです。


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こじれる原因は勝手な評価や判断


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「いい/悪い」、「正しい/正しくない」、「面白い/つまらない」など、評価・判断から起こる二元論の世界では常に対立が存在します。
望ましいものと望ましくないものに物事を分けるのであれば、それは常に望ましくないものが存在する世界に生きるということになります。
「戦争反対」のプラカードを掲げて路上で”戦う”ひとは、賛成と反対に世界を分けて、何かを「間違っているもの」として扱っています。

また、「若い頃に失敗したから今の成功がある」と言われるように、ある時点での間違いは、いつかの成功かもしれません。
長期的な視点では、何が正しくて何が間違っているかなんて、本来は判断できないことのはずなのに、私たちはしばしばその前提を忘れてしまいます。

「よくあることだから大丈夫だよ〜」と無責任に励まされたり、「〇〇すべきだ」と他人の価値観を押し付けられたり。
本当に気持ちに寄り添うような関係性を目指すのであれば、まずは「いい/悪い」を抜きにして、起きたことをそのまま受け止めることです。

「互いの必要を満たし合う」という協働の目的を思い出してください。
満足のいかなかった体験について、勝手な価値観から判断を下し、誰かにぶつけたり、
求められていないのにアドバイスしたり、
励ましたり、同情したりすることは、共感・協働とは全く異なります。

何を本当は必要としているのかを、まずは明確にする。
そのためには、「いい・悪い」や「正しい・間違い」ではなく、「自分の体験」という視点から状況を観察し、そこで何が満たされたらいいのかに意識を向けることが大切なのです。

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