NVC〜協働と共感のコミュニケーション〜④大切にしたいニーズにつながる

※本記事は特定の政治的思想を支持したり批判するものではありません。

参院選候補の三宅洋平さんがNVC(共感的コミュニケーション)について演説のなかで言及されたようですね。
日本でも様々なシーンでそのコンセプトが共有されてきているようです。




三宅 洋平(みやけ ようへい / Yohei Miyake、1978年7月24日 - )は、日本の音楽家・政治活動家・社会活動家。ベルギー生まれ[1][2]、早稲田大学第一文学部卒、元リクルート社員[3][4]。政治団体「日本アーティスト有意識者会議」代表[5]。
引用:三宅洋平 - Wikipedia



前回記事②では実際に起きた出来事に解釈を加えず、事実を事実として認識することについて、
NVC〜協働と共感のコミュニケーション〜②事実だけを観察する

前回記事③では、その出来事を受けて、どんな感情が湧いてくるのかに意識を向けることについて、
NVC〜協働と共感のコミュニケーション〜③感情を感じる

それぞれ書いてみました。

他人の言動や出来事は感情を引き起こすトリガーになることはあっても、直接の原因になることはない。
「大切にしたい何か」があって、それが満たされたり、満たされなかったりするときに感情が湧いてくる。

まとめるとこんな感じ。

今回はこの「大切にしたい何か」(これを簡単に「ニーズ」と呼びます)についてです。


ニーズが満たされないと、悲しくなったり、怒ったりする。


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繰り返しになりますが、他人の言動や出来事は感情を引き起こすトリガーになることはあっても、直接の原因になることはありません。

勝手に冷蔵庫のプリンを食べられたら、基本的には怒るかもしれません。
でも、ダイエット中だったら?
「あ、食べなくて済んだ!」みたいな感じで、むしろラッキーくらいに思うひともいるかもしれません。
変な例だったかもしれませんが、つまりはそうゆうことです。

行動や出来事そのもの(ここでは勝手にプリンを食べられること)が感情を引き起こすのではなく、そこで大切にしたかったことが満たされているかいないかによって、湧いてくる感情が決まるのです。


ニーズのレベルで争いは起きない。争いが起きるのは手段のレベル。


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さっきの例でいうと、「プリン」はもちろん大切かもしれませんが、プリンは基本的にはニーズを満たすための手段です。
プリンを食べたとき嬉しいのは、なにかそこでニーズが満たされたから、というイメージです。
NVCでいう「大切にしたいこと」つまりニーズはちょっと抽象的なもので、人間の根源的な欲求に基づいたものです。

以下は、「NVC - 非暴力コミュニケーション」の提唱者であるマーシャル・ローゼンバーグ氏の著書で紹介されているニーズの一部です。

楽しみ
・学び
・健やかさ
・表現
・つながり
・休息
・理解
・思いやり
・自主性
・貢献
・嘆き
・安定

などなど

ニーズがいくつあるか、というのはここでは大して重要なことではありません。
上に挙げたのはあくまで一例で、ニーズは実際には無数にあるでしょう。
大事なのはそのコンセプト。
つまり、「抽象度が高く、全人類誰にでもある根源的な欲求」というところです。
たとえば「楽しみ」や「休息」はその程度は異なるにしろ、誰しも大切にしたいことですよね。
人間の行動は常に何かしらのニーズを満たすための手段であるとNVCでは考えています。

プリンを勝手に食べられたときに怒るのは、「プリンを食べられたから」ではなく「思いやりを大切にしているから」みたいな感じです。

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自分のニーズがわかったら、相手のニーズも大事にしてあげる


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ここが結構大事なポイントです。
自分の大切にしたいことだけ大切にするのでは、きっと世の中は争いだらけになってしまいます。
相手が「何を大切にしたいか」、相手のニーズも大事にしてあげることが大切です。

「あ〜、いまムカついてるのは、思いやりを大切にしたかったからなんだ」

と気づいたら、

「じゃあプリンを食べたアイツは何が大切だったんだろう?そんなにお腹すいてたのかな?」

と考える余裕が出てきます。
ちなみに、逆はできません。
自分のニーズに気づかないと、相手のことを考える余裕はできません。
それどころか、もっとムカついてきたりします。
まずは自分を大切にしましょう。


ニーズを起点にして話をしてみる



「なんで勝手にプリンたべたの!?」
「ひとのもの勝手に食べないで」

というよりも、

「冷蔵庫のプリンがなくなってたけど、ひょっとしてお腹すいてた?」
「でも2人の間では思いやりも大事にしたいな」

なんて話かけるほうが良さげ?に思いませんか。
実際に「思いやり」というワードをいちいち口に出さなくても、なんとなくそれがわかっているだけで、話をする態度や威圧感に違いがでます。

自分では怒りを表に出さないように努めていても、相手にはそれが伝わっている、ということはよくあることで、そうなると相手も防御姿勢をとって会話に望むことになるでしょう。
これではとても心の通ったコミュニケーションはできません。

「アイツが〇〇したせいで!」
とか
「も〜むかつく!」

という反応状態から少しだけスペースをとって、「今なにが満たされたらいいだろう?」と考えてみる。
そのニーズを満たすために、自分ができることはあるか?あるいは誰かにサポートを頼めるかも?
そんな風にイメージしてみると、怒りや悲しみは、だんだん情熱や創造、希望に変わっていくかもしれません。

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