自分のコントロールを失わないために

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遅刻をしたら絶対に許されないのか


先日、知人と待ち合わせをしたときに、遅刻をしてしまいました。当然、怒っていると思い、すみませんでした!と謝ると、その人はこう言いました。

「いや、いい読書の時間になりましたよ」

なんて素晴らしいんだ!と思いました。
何気ない返事になんだか常識を打ち破られたような気分になりました。

「私の時間を無駄にしやがって!」と思っていてもおかしくないイレギュラーな状況でも、本を読むという代替案を自分で選択することができる。
出来事や他人の言動に惑わされることなく、自分のコントロールを自分で握っているそのあり方に感銘を受けました。


自分のコントロールとはなんなのか


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自分で自分をコントロールすることは、しばしば難しく感じられます。
その瞬間は自分の意思で行動を選択しているように思えても、あとから考えるとただ状況に反応していただけだったりすることもあります。

自分のコントロールがある状態とは、すなわち選択肢をもっているかどうかに依存しています。

ある状況に対して取れる行動の選択肢をもっていない(と思っている)あるいは無力感のなかにいるとき、人は「コントロールを失っている状態」にあります。
そしてそうゆう状態にあると、高い確率で他人を攻撃したり、自分を傷つけるコミュニケーションをとるようになります。

待ち合わせ相手が遅刻して、空いた時間に対して取れる選択肢がないと、「私の時間を無駄にしやがって!」という反応が立ち上がってきます。
あるいは、舞台に上がると緊張して何もできなくなってしまう。無力感から自分を責め、またそれが無力感を強化する。
「保育園落ちた。日本死ね」も同様に、状況に対して無力感を感じているために起こる反応でだと言えるでしょう。

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自分のコントロールを取り戻すには




ある一つの手段にこだわっていると、当然のことながら人は選択肢を失いやすくなります。
自分が社会で活躍するための手段は、保育園に子供を預けること意外にもあるはずです。もっといえば、「社会で活躍する」ということもまた一つの手段にすぎません。
ある一つの価値観にとらわれていると、どんどん世界が狭くなって、そこにそぐわない人や状況が許せなくなってしまいます。

自分のコントロールを失わないようにするためには、物事を広く抽象的に捉える力が必要だと言えるでしょう。
(これは以前の記事で紹介した、すべての人間に共通するニーズの考え方につながります。)
たとえ遅刻されても、「充実した時間を過ごしたい」という願いに自覚的であれば、そのために自分が何をすべきかはおのずとわかってきます。

ところが反応に身を任せていると、「充実した時間を過ごしたい」という本来の願いからはなれて、「遅刻がどんなに罪深いことかをアイツに分からせてやる!」みたいな欲求がふつふつとわいてきたりします。

だいじなことは、本当に自分が満たしたい部分に自覚的でいることです。
そのためには、ちょっと抽象的に物事をみることができるといいでしょう。
前回記事もぜひ参考にしてみてください。
NVC〜協働と共感のコミュニケーション〜④大切にしたいニーズにつながる

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